科学的なインテリアとして有りだと思う
Y.K
私は大学を卒業させてもらった身ですが、正直高校生の時には大学なんて行けると思ってなかった。
なぜなら、特別学力があったわけではないし、身近に大学出身者がいなかったからイメージすらできなかったから。
それは、勉強があまり好きでなかった私の学力が足りないという事、その結果県内上位の進学校に通えなかった事など自分の力不足もありますが、生まれた環境が、育った環境が少なからず影響していると思ってました。
言い訳に聞こえるかもしれないけど、外部から受ける影響は少なからずあります。
なぜそんなことを今思ったかというと、奥さんが面白かったよ、と言って教えてくれたこんな記事を読んだことがきっかけです。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
記事の筆者は東大出身という優れた経歴の持ち主です。歳は私の1コ上。
北海道から東京へ出てきた際に、自分の経験から、都市と地域には教育の格差がある、ということに気づいたそうです。
具体的に記事で書かれていた事例を挙げます。
筆者が育った北海道の釧路では、大学が少なく、あまり馴染みのない存在だったそうです。
また、親、親戚は大学出身者がほとんどいなかったため、身近な存在から大学について教えてもらうこともなかった。
高校に入学して、進路を決める際にやっと大学を認識し始め、三者面談で子供が大学に進学できると聞くことで親もやっと大学について意識し始めるといった流れ。
筆者は1年浪人して東京大学に進学したといった流れです。入学後も地方出身ということでいろいろ苦労したようです。
詳しくは記事を読んで頂ければいいと思いますが、読んでみて感じたことは私も似たような経験をしてきたということ。
まず、私も大学出身者は親、親戚を含めて身近にいなかったこと。大学について教えてくれる人はいませんでした。なんとなく頭がいい人が研究者になるところというザックリとした認識でした。
また、中学では真ん中くらいの成績で、新潟県内の有名進学校の一つ下くらいの高校にかろうじて入学したくらいの学力。当然大学になんていけると思っていなかった。親、親戚は高卒で働いているか、専門学校に進学したかがほとんど。高校でも真ん中くらいの成績で大学に行けるのは成績上位の人たちのみ。大学とは無縁と思っていましたが、何故か模試の成績が良くて学校内の上位10位内に入ったりして大学に行くことに。親も喜んでくれましたが大学はどんなところか全くわかっていなかったと思うし、自分の子供が大学に行けるなんて思っていなかったでしょう。
実際大学に入学してみたら、授業は自分で選んで受講するだの、夏休み春休みが長くて年間の半分が休みだの、わからないことだらけ。親戚関係の身近な人はもちろん、高校の担任も含めて、大学について教えてくれる人は誰ひとりいなかったから。
記事の筆者ほどではないですが、近い体験もしてきたと思います。
高校生の時は今ほどネットが身近な存在ではなかった。特に、PCに疎い親だったので、私もPCに触れる機会は少なかったですから、ネットで調べる習慣もなかった。
記事でも書いてあったとおり、都市では住んでいるだけで触れられる文化、入ってくる情報量が桁違い。地方はなかなか大学を認識することが難しい。
今はスマホが普及したことで都市と地方の情報の格差はなくなってきているかもしれないけど、そこに住んでいないと体感できないことも多い。
そこに住んでいないと体感できないのは子供だけでなく、親も同様。親が大学を認識しないから、子供が大学に行く必要性を感じない。もちろん、大学に必ず行かなければならないわけではないですが、子供の選択肢と可能性が狭まっているのは事実。
記事を読む前からこういう問題はあるとわかっていましたが、よくまとめられていてわかりやすかったです。
教育格差の要因に地方と都市の関係がある。これは改めて認識しておきたいと思います。