ダルビッシュ有が言う「誰もがものさしの長さや形が違う」だからこそお互いの意見を聞き議論することが必要なんじゃないか

「common ground」=「共通点、共通の場」という意味ですが、個人個人で思っていることが違う中で共通点を見つける事ってかなり難しいことだと思っています。

共通点、共通認識があればそこまで話がこじれることはないのですが、みんながみんな同じ考えではないのでそううまくはいかないことが多いです。

だからこそ、議論が必要だと思っています。

しかし、なかなか議論に発展しないことも。

 

個人的に大好きなメジャーリーガーのダルビッシュ有選手はTwitterを盛んに更新してリプライに関しても反応したりするのですが、苦労もしているようです。

そんなツイートがこちら。

 

議論しているつもりが相手と噛み合わず議論にもならないようです。

Twitter上ではなかなか難しいこともありますが、相手が議論の場に立ってくれない事にはどうしようもないですよね。同情します。

 

相手と考え方が違うからこそ議論が必要であって、議論の結果考え方は違えどお互い落としどころが見つかることが大切なことだと思います。

ダルビッシュ選手が言うように「誰もがものさしの長さや形が違う」のだから100%相手に同意できることはほとんどないはずです。

自分と考えが違う人は許せないという人も多いのかな?と。

 

あと、「自分の考えは普通の考えだ」「自分の言っていることは世間でも言われている」という主張も多いですが、これもちょっと違うかなって思っています。

私は「自分の普通は他人の普通ではない」が大前提なので。

以前、こんなブログ書いてます。

 

「自分の普通は他人の普通ではない、逆もまた然り」を前提にすると平和な世の中になるはず

 

まさにダルビッシュ選手の「誰もがものさしの長さや形が違う」と同じ考えです。これには100%同意。

こうして共通認識があるダルビッシュ選手だからこそ個人的に大好きで応援したくなるんですよね。

だから、共通点や共通認識は大事。最初に言った通り見つけるのは難しいけどね。

 

とは言え、別にダルビッシュ選手に噛みつく人が嫌いとかそういう事はないです。「いろんな人がいるんだな」「そういう考えがあるのは残念だな」とか思う事はありますが嫌いとか許せないとかはない。あくまでも個人的な感情や意見なので、意見を発言することはありますが誰かに自分の考えを強要することはないですね。

 

自分達に置き換えれば、会社の仕事上で意見が異なる人たちがいたとして、お互いが自分は正しい!を言い合うだけでは議論にならないので、相手の考えを理解しつつ、自分の意見も発信することが必要だと考えています。議論の場に一人でも自分は正しい!がいると、なかなか前に進まないんですよね。

こじれるのが嫌な事なかれ主義の日本の会議は議論にならず、会議は何も決まらないことが多いのかもしれません。

 

相手は自分と考えが違うんだという事を受け入れたうえで議論も深めていけばダルビッシュ選手が言うように「成長に必要な議論」になると思っています。

 

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