「崎」ではなく『﨑』なんです、実はかわさきの「さき」の字は。
ヒース(川﨑 誠)
こんばんはデース(^^)
川﨑ですm(_ _)m
ということで、好きなことの1つ。
野球についてです。(^^)
少年時代の話が中心なんですが、
まぁ、都合よく写真なんてすぐに出てきませんよね~。
ただ、部活で野球をやっていました。
で、ちょっとこんな成績残しました。
的な、よくある話ではなく、
ちょっと人とは違う経験をしてきているので、
そんな話をしてみたいと思います☆
子どもの時のスポーツが、親の影響って、よくある話ですよね。
私も、完全にそのタイプです。
ちなみに、親父は阪神ファン。
確か、まぁまぁ巨人はキライ。
僕も、どのチームが好きかと言われれば、迷わず阪神と答える。
あえてどのチームが嫌いかと聞かれたら、迷わず巨人と答える。
……理由はなんとなく。(親父としか思えない。)
幼稚園児のころから、「野球選手になる」だの言って、
常に野球帽子をかぶって外に出ていた。
ような気がします。
今は、親御さんが小学校の部活の面倒を見る時代で、
部活に入れる学年は、どこもかしこも低学年からOK。
って感じのようですね。
ひとまわり年の離れた弟が2人いるのと、
ちょっと今も小学生のバレーボールのコーチもどきをしているので、
子どもいないくせに、少しだけ最近の小学校事情に詳しいです。
でも、自分達の時代の小学校の部活は違う。
先生が、休み返上気味で部活の面倒を見ていた時代。
部活に入れる学年は、学校によってまちまちのようでしたね。
人数が多い学校は、高学年から。少ない学校は、低学年から。
自分の母校、「葛塚小学校」は、高学年の5年生から入部可能でした。
なんで、こんな話をしたかといいますと、
なぜか自分、入部したのが5年生からではないのです。
まぁ、正式に入部というわけではないのですが、
1年はやい4年生から、部活に参加しーのお世話になっていました。
兄貴がいるわけではありません。
というか、自分5人の一番上なんで。
理由、というか、きっかけは、当時の担任が野球部の顧問をしていたこと。
きっと、100%冗談で言ったであろう、先生のこの発言を、
純粋な心をもつ少年は、疑うことなく真に受けて行動したのが、
全ての始まりです。
「夏休み、なんなら野球部遊びにおいで (^^)」
親が働いていて、鍵っ子でしたので、
その辺の気遣い的なのもあったのかもしれませんが。
そんなことなど一切考えず、迷うことなく毎日よろこんで遊びに行きました。
野球部は学年ごとにわかれて活動する学校で、当時の担任は6年生の担当でした。2つ上のお兄さんたちに、練習をまぜてもらっていたわけです。
こっそりと参加していたわけではないので、同級生も皆知っている事実です。
今思うと、よくコレが許されたなと。
特に、5年生を担当していた先生あたりから、何か言われていたんじゃないかな……。
今思うと、たくさんの人のおかげで成り立っていた、貴重な経験ですね。
6年生の引退試合は、「6年生チーム ✕ 先生チーム」で戦うのですが、
なぜか先生チームで途中から出場していたのも、不思議であり、いい体験&思い出。
つまり、実力は下手っぴということです(苦笑)
笑える話ですよね。
前述のとおり、特別対応で練習に参加していたわけですから、
さぞかし上手いんだろうとおもいきや。
デス。
同級生からの言葉が、本当に笑えました。
「俺、まこっちゃんが一番上手なんだと思って、5年生になって入部したわ」
まこっちゃんとは、自分のことです。
でもね、中学2~3年の最後の1年間は、
ベンチ入りギリギリの位置から始まり、最終的にはいくつか背番号が若い番号に変わっていったことは、
頑張った結果なんだろうなぁって。
「あれ、お前、思ってたより、やるじゃねぇか」
ちょっとヒドイともとれる、この監督の発言。
自分はすごく嬉しかったなー。
だって、下手で使えないって自覚しながら、頑張って続けてたからさ。
小学校の時は、セカンドを守っていたんですけどね。
理由は、肩が弱いから。
身長は、クラスで一番低いか二番目って感じのチビでしたから。
これといって、めちゃくちゃ筋トレしていたわけでもないですし。
パワーがない選手だったんです。
なのに、中学からは外野手。
理由↓
骨折したため、自分のポジションを決めるシーズンに野球が出来なかった私。
いざ復帰して、セカンドに行こうとしたところ、一番人が多いポジションでした。
たくさんボール触りたいのに、練習の時ですら順番待ちが多くなるので、
嫌だなぁって思った。
で、一番人が少ないポジションを探した。
以上(笑)
まぁ、肩が弱いなら弱いなりの外野の守り方がありますから。
常に、ワンバウンドで投げてるような、バックホームとは無縁の選手でしたね。
「スコアラー」ってご存じです?
どんなスポーツでも、試合の記録を紙に書くわけですが、
ようはこの記録を書く担当の人ですね。
野球のスコアラーって、細かいんですよ。
最初は、こんなの記録するなんて考えた人は、アホだと思いました。
まぁ、あとあと分析したり、選手の成績を集計するためには、
ものすご~く大事なんですけどね。
で、私の野球少年時代の唯一の自慢が、このスコアラーです。
自分の書く字、特別達筆でもなんでもないのですが、
男の子どもが書く字としては、かなり読みやすかったようです。
私の記録したスコアは、すごく見やすくて評判だったんです。
どのくらい、評判だったかというと、
他の学校の監督さんから、読みやすいからスコアを借りたい。
そう申し出があったくらいにです。
監督が、嬉しそうに「誇らしかったぞ」と話してくれました。
そんなこんなで、本来は下級生が交代でスコアラーを担当するのですが、
1年生の時は、ほとんどの試合のスコアラーは私が担当していました。
他の同級生は、ベンチから離れたところで応援をする中、
自分は常に監督の隣でスコアラーを行うので、
書きつつも、監督と話をしたり、
小学校の時にお世話になった、2つ上のお兄さん達の上手なプレーを、
同級生の誰よりも近くで見ることが出来たりと、
知識面はかなり勉強になりましたね。
体がついてこないので、残念ながら1軍にはなれませんでしたがね。。。
で、ついでなので、
試合に出た同級生や先輩たちの成績を、自宅のおんぼろパソコンで集計をしていました。
試合を行うたびに、集計結果を更新して皆に見せるんです。
皆、自分の年間の成績をプロ野球選手のように知る事ができたわけで、
結構よろこんでもらえてたと思います♪
今思うと、当時からExcel使って数値の分析してたんだな~、俺
ブログを書いていて、こんなことをしていたことも思い出しました。
1軍にはなれないレベルの自分でも、小学生に少し教えるくらいはできましたからね。
当時から、
「人に教えるってことの大事さ」
を自覚していたんですかね!?
「段取り良く、誰にでもちゃんと教えられるようになって、初めて一人前って言えるんだ」
なんてことを、禁止されていた高校時代のバイトの上司に、言われたことがあまりす。
まあ、確実に自覚も意識もなんにもしていませんが。。。
私の野球は、いったん中学校でストップです。
1回も、レギュラーになれなかった現実を受け止め、
高校野球の道へは進みませんでした。
ただ、子どもの時にやっていたスポーツは、
大人になっても特別なスポーツですよね。
別に、「社会人の全国大会を目指す!!」
みたいな熱い思いはありません。
ただ、「たま~に、野球やりたいなー」くらいには思うわけです。
と、いうことで、それなりーな年の方も在籍する、
草野球チームに身を置き、野球を継続できる環境作りはしてあります。
真夏の炎天下の中で、野球はやりたくないという理由で、
「早起き野球」を選びました。。。
朝に弱いくせにね、自分(苦笑)
起きたら、野球の時間が終わってるなんてことは、
しょっちゅうです。
ダメじゃん、それ!!
女池リーグとは
シーズン中の4月後半~9月前半の土曜日や日曜日を使って、
特定の地域で活動をしている9チームくらいで行う、総当り式の草野球大会です。
って感じかな。
まぁ、こんな活動に身をおいて、草野球をやっているわけです。
野球って、1チーム9人いないとなりたたないので、
人数が必要なスポーツなんですよ。
何が言いたいか、わかりますよね!?
「常に、そこそこ人不足の傾向があるので、参加者は常に募集中です」
お問い合わせは、自分まで(^^)
普通、上手い人を見て分析しないと、上達しないんですけどね。
下手な理由が、ここにもありそうです。
さすがに、知り合いが出ている試合なら、見たいって思うんですけどね……。
ということで、プロ野球の話はさっぱりです。
会話になりません。
イチローなら、知ってますよ。
見ていると、やりたくなってウズウズしてくる。
そんなタイプの野球好きです!!
それではまた明日?
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なぜか仲間はずれのもう1つの社員ブログ:営業 藤田 遼の「はぐれない狼!」
こちらも読んであげてね。
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