真意を伝えるということ

こんにちは、ウィザップDTP部のヒグチです。

日々の愚痴を綴るブログ「グチブロ」にようこそ。

 

 

 

嫁と何故か公開ブログ討論になっています。

 

よく聞かれますが、夫婦間でブログに関する事前打合せ等はしていません。

事実の確認や、書いてもいいかの了承を取ることはありますが、内容に関してはよっぽどのことがなければお互い干渉しません。

(さすがにあの件だけは事前検閲させていただきましたがw)

 

いつまで続くのかと辟易している方もいると思いますが、ヒグチとしてはまだ納得できないところがあるので、もう少しお付き合いを。

 

 

以下がこれまでの流れー―

 

発端となった嫁ブログ。6歳の娘の機知に富んだ会話の紹介でした。

真意を伝えるということ

 

それに対するヒグチのブログ。娘はそんな意味で言ったんじゃないだろというクレーム。

事実の歪曲

 

そのクレームに対する嫁の回答。

真意を伝えるということ

 

 

嫁の回答の要点は

無駄をそぎ落とし、

伝えたいことだけが伝わるようにする。

これが編集作業の基本です。

嫁ブログより

という編集者としてのスタンスから。

そこはごもっとも。

 

余分な情報を入れ混んだ冗長な文章では最後まで読んでもらえなくなりますし、読者に伝えたいことも伝わらなくなります。

そして「娘の機知に富んだ発言」を分かりやすく伝えたいという、その日のテーマを踏まえての編集であったことも分かります。

 

今回憂慮すべきなのは

パパとはちがって?

と言った「発言主である娘の真意が伝わっているのか」ということです。

 

 

娘の真意としてはヒグチのクレームに記載の通り、その後の

「違う!私は聞いてるの!パパとは違うのかどうなのか聞いているの!」

という発言(嫁ブログではこの部分はカット)から、パパ(ヒグチ)を見下したわけではないことがお分かりいただけると思います。

何よりも、これまでの長い付き合いと信頼関係から、娘がパパを蔑む発言をするわけがないという確証があります。

 

 

しかし、嫁ブログのその後の記述(回答ブログで嫁も解説しているので引用)

確かに、私は最後

み、見抜かれている…

(==;;;)

 

引用元:ソミヤちゃんねる。「娘6歳の子供らしからぬ大人な発想に驚いた発言3連発♥お嬢様のオトナ語録♥

と書いたので、

  • 私が「夫はやる人ではない」と思っていることを娘が見抜いている
  • 娘が「パパ(夫)はやる人ではない」と見抜いている
  • 「パパ(夫)はやる人ではない」という事実を娘が見抜いている

の、いずれにも捉えられるんですよね。

 

そう。

嫁ブログのその後の文章(編集)により、受ける印象は「娘が6歳児らしからぬ発言でパパ(ヒグチ)を蔑んだ」という方向にミスリードしていっているのは明白なのです。

 

 

分かります。

ここで、「違う!私は聞いてるの〜……」という娘の発言を追加して事実を語るよりも、「パパ(ヒグチ)を蔑む6歳児」という話に持って行った方が話のオチとしても秀逸です。

 

ヒグチ自身はオチに使われることに腹を立てているわけではありません。

逆にどんどんネタにしていってほしいと思っているくらいです。

 

 

しかしですね…

 

娘の真意とは違った方向に事実を持っていかれるのは承諾できません!

 

 

マスコミ報道でよく問題にされるのが、報道側が自分たちのストーリーに沿った情報のみを切り貼りし、取材される側の意図とは違った方向に発言や事実を歪曲、もしくは発言自体削除されることです。

 

 

最近でも話題になったのがノーベル文学賞の委員長の発言です。

今年のノーベル文学賞に選ばれた米シンガー・ソングライターのボブ・ディラン氏が沈黙を続けていることに対し、選考主体のスウェーデン・アカデミーのメンバーが21日、スウェーデン公共放送SVTのインタビューで「無礼かつ傲慢だ」と強く批判した。

日本経済新聞Webサイトより

http://www.nikkei.com/article/DGXLAS0040001_S6A021C1000000/

 

この発言に対し、

「いやいや、あんたらの方が何様だよ」

「そんなにノーベル賞が偉いのか」

という、ノーベル賞委員会を批判する声が高まりました。

 

 

しかし、この発言には続きがありました。

同賞を選考したノーベル委員長のペール・ベストベリィ氏が21日、「無礼で傲慢(ごうまん)だ。でもそれが彼ってものだ

ハフィントンポスト日本版より

http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/22/bob-dylan-criticized_n_12603388.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

 

「でもそれが彼ってものだ」

この一文が入るだけで印象はガラリと変わります。

ボブディランのことを理解した、愛情ある表現に思えてしまうほどにです。

 

さらに発言の続きには

「予想していなかったが、彼は気難しいようだから驚きはしなかった」

(略)

「我々は待つ。彼が何と言おうと彼が受賞者だ」

ハフィントンポスト日本版より

と、まであります。

 

ここまで記載しているのはごく一部のメディアのみです。

 

報道側としては、「ノーベル賞委員会がボブディランの回答を待つ」という安穏としたものより、「ノーベル賞委員会が怒っている」というニュースの方がネタとしておいしいと判断したのではないかと見てとれます。

 

 

 

例えが大きくなりすぎましたが…

 

会話の一端を切り取り、編集側の意向に沿ったリードで、発言者の真意とは外れた方向に事実を持っていく、ということに危惧を感じたわけです。

 

その対象が6歳の娘であっても。

 

いやパパを愛する我が娘の発言だから余計にね。

 

ヒグチもよく他人のことをネタにしたブログを書くので、自戒を込める意味でも注意していきたいものです。

 

 

以上。

どうでもいい話に長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

夫婦仲?

悪くは…ないんじゃないかな?

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