HAC -11-

こんにちは、ウィザップDTP部のヒグチです。

ヒグチ・アルビレックス・クロニクル「HAC」第11話です。

 

 

前回はこちら

 

 

2001年、クラブの歴史を考えたときにターニングポイントの年と言えるでしょう。

 

若き指揮官・反町康治の監督就任と新潟スタジアム・ビッグスワンの完成です。

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反町康治監督(2001-2005) (アルビレックス新潟11年史より)

 

 

前年にJリーグの監督になるのに必要なS級ライセンスを取得したばかり、まったく指導経験のない37歳。しかしアルビのサッカーは大きく変わります。

 

反町監督が取り組んだのはいたってシンプルなものでした。

チームとしてやりたいことを徹底して整理し、ストロングポイントを鍛え上げたうえで、理論派として知られた分析力で相手の弱点を突く

そのスタイルは後に監督を務める、湘南、松本でも同じで、異なる3つのクラブをJ1に昇格させます。(北京五輪代表では結果に繋がりませんでしたが…)

 

スタートダッシュこそ失敗しますが、徐々にチームは変わって行きます。

 

そして大きな起爆剤になったのが、2002年W杯の会場であるビッグスワンの完成でした。

 

 

それまで、新潟市陸上競技場をホームとしていた頃のアルビの平均観客数は約4,000人

ビッグスワンの収容数は4万2,000人。

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2001.5.6横浜FC戦(筆者撮影)

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2001.5.6横浜FC戦(筆者撮影)

 

 

「そんな大きな箱を作って、W杯が終わったらどうするんだ」

そんな声が建設前から聞こえていました。

現に、県はホームスタジアムとして使わせるつもりはなかったという話があります。

使ったところで4,000人しか入らないのであればクラブとしても赤字にしかなりませんから。

 

しかしクラブは自治体やスポンサーなどを通して無料招待券を配布し、一大集客作戦を実行します。

 

そして5月19日、京都パープルサンガを迎えたスタジアムのこけら落とし

ヒグチもこの一戦のために新潟に帰郷し、初めてビッグスワンに足を踏み入れましたが…

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こけら落としのビッグスワン(アルビレックス新潟11年史より)

 

集まった観客は3万1,964人

クラブ関係者も予想していなかった大観衆だったのです(予想では2万人ほどだったとか)。

 

ほとんどがアルビというより、「新しいスタジアムが出来たらしいし、無料券ももらえたし、一度くらい見に行ってみるか」というビッグスワン見たさの観客だったと思います。

 

しかし、その大観衆の前でアルビは熱い、壮絶な試合を演じます。

元日本代表FW黒崎比差支のビッグスワン初ゴールなど、昇格候補の京都相手に終盤まで2-3の点の取り合い。これまでかと思われたロスタイム、FW氏原良二の同点ゴールで大観衆のスタジアムは大きく揺れました。結局、延長戦の末に3-4で敗れますが、スタジアム見たさだった人々を魅了するには十分な試合でした。

 

大観衆の声、拍手が屋根に反響し、まさに異空間だったのを覚えています。

この初スワンを境に、ヒグチも積極的に帰省してビッグスワンを訪れるようになります。

このスタジアムと大観衆がなければ、ヒグチが新潟に帰ろうなどと思うことはなかったかもしれません。それくらいの衝撃でした。

 

 

 

続く

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