HAC -7-

こんにちは、ウィザップDTP部のヒグチです。

ヒグチ・アルビレックス・クロニクル「HAC」第7話です。

 

前回はこちら

 

 

アルビは1996年北信越リーグ優勝を果たすものの、全国地域リーグ決勝大会で敗退し、JFL昇格に失敗。翌1997年も北信越リーグを戦うことになりました。

 

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アルビレックス新潟11年史より

 

 

その頃のサッカー界の話題は、初出場を目指すフランスW杯アジア最終予選一色。

ヒグチもこの時はさすがに、アルビよりも日本代表の試合に一喜一憂していました。

 

あれほどの絶望と歓喜が交錯した痺れるような予選は、もう二度と味わえないでしょうね。

 

カズ怒濤の4ゴールのウズベキスタン戦に始まり、

韓国戦・ホーム国立で山口の芸術ループからの悪夢の逆転負け

そしてカザフスタン戦のドローで加茂監督解任

岡田監督初戦のウズベキスタン戦はロスタイムの呂比須の得点でドローから、

ホームUAE戦もドローでサポーターが一部暴徒化

しかし崖っぷちのアウェー韓国戦で2-0快勝

最終戦は代表復帰のゴンゴールなどで圧勝し、

アジア第三代表決定戦へ滑り込み。

 

そして後世に語り継がれる「ジョホールバルの歓喜」ですよ。

 

 

今やアジア予選は突破して当然。

突破が決まっても「歓喜」というより「安堵」という気持ちが勝りますからね。

 

 

 

そんなW杯を目指す「日本代表」と「北信越リーグ」…カテゴリーの違いは如実で、アルビと世界が繋がっているなんて思いもしない頃です。

当時、日本代表のボランチで活躍していた山口素弘が、後にアルビに加入してJ1昇格の原動力になるなど夢にも思いませんでしたね。

 

 

「地域リーグの試合なんてよく観に行くな」

友人からはそんな数奇な目で見られていた時代でした。

 

 

1997年7月27日[北信越リーグ第9節]@新潟市陸

ヒグチの目の前で、アローズ北陸に勝利して2年連続の北信越リーグ制覇を成し遂げます。

 

 

そして翌年1月の全国地域リーグ決勝大会で前年の雪辱を果たし、JFL昇格を決めたのです。

(ただ、その前の月の時点で、1999年から始まる「J2リーグ」への加盟申請が承認され、J2参戦は決定していました)

 

 

 

いよいよアルビの戦いの舞台は北信越から全国へ。

 

続く

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